cover image

食レポが苦手だ。

つまり自身の感覚を言語化して他人に伝えることが苦手なのだが、もう少しだけ掘り下げると、私の場合は自分の感覚に対する不信感と言語化の訓練不足とに起因する食レポへの苦手意識を少なくとも十数年は抱き続けてきた。食品メーカーの官能評価やソムリエの試験ではないのだからそこまで深刻に考える必要はないというのに、世間で美味しいと評価されているものや比較的高額なものを口にするたびに「なにがどうして私はこれを『美味しい』と感じるのか」と必要以上に探ってしまって、あまりに複雑な味のものだと美味しさそのものを楽しめないことすらある。自身の感覚を表現するにはそれに対応する語彙が必要になるが、それを私は私の中だけで探し続けてしまって、結局見つけられずに行き詰まることばかりだ。

それでも私が食レポへの憧れを捨てきれずにいるジャンルがいくつかあり、その一つがチョコレートである。チョコレートを表現する語彙ついて初めて真面目に考えたのは5年くらい前のことで、どこかの been to bar のチョコレートショップが開催するワークショップに参加したのがきっかけだった。申し訳ないことにショップの名前は忘れてしまったが、当日になって突然知人から「空きがあるから来ないか」と誘われたことは覚えている。用意された様々な種類のチョコレートを見て、嗅いで、割って、齧って、舌の上で溶かして、それからようやく飲み込む。普段の食事よりも数段丁寧に行うその作業を通して感じたことをひとつずつ言葉にする。この難しそうな作業を行う際にショップの方が駆使していた様々な語彙は、明らかに私のそれとは異なっていた。酸味や苦味といった具体的な要素についてももちろん言及していたが、私が今でもよく覚えているのは「乾いた土のような香り」というものだ。乾いた土。正直なことを言ってしまえば私には理解できなかった。乾いた土に触れたのは遠い昔のことだったし、意識して匂いを嗅いだこともなかったし、ましてやその匂いを食べ物への評価に使うだなんて想像したことも無かったのだ。正解があるわけではないし、感覚には個人差があると言われても、ここまで共感できない食レポも"アリ"なのか……と衝撃を受けた。「濡れた干し草の香り」という表現も新鮮だった。これはなぜか一瞬で感覚を共有することが出来た。干し草の香りに包まれたこともないというのにだ。語彙の少ない私はいつも五味などの基本的な要素に分解して分析する冗長な食レポをしてしまいがちだが、こういったユニークかつ洗練された語彙と感覚を持ち合わせている人の作るチョコレートを、私も私なりの語彙でシンプルに表現できるようになりたいと思った。

ありがたいことに、つい先日またチョコレートショップのワークショップに参加する機会があった。オンラインでチョコレートが出来上がるまでの過程を体験するというもので、自宅に届いたカカオ豆やきび砂糖、チョコレートバーになる前のチョコレートたちを味わいながら、スタッフさんのカメラを通して工場を見学した。頂いたパンフレットにあるチョコレートのフレーバーノートを読んでいたところ、またひとつ私にとっては不思議な表現を見つけることが出来た。「苺のチョコレートディップ」だ。チョコレートのフレーバーノートに「チョコレート」という言葉を使うのもどうやら"アリ"らしい。フレーバーノートを食レポと呼んでもいいのかどうかは知らないが、食レポは私が思っていたよりもずっと自由で、面白いものなのかもしれない。

食レポの懐の深さに安心するとともに、その広い世界でより洗練された表現を探る楽しさを感じさせてくれる。さらに美味しくて綺麗。それが私にとってのチョコレートだ。今後も疲れない程度に食の、特にチョコレートの語彙と向き合っていきたい。

(これは2月に投稿する予定だった記事を書き直したものです…)