# Foodie

  • cover image
    胃腸の調子を崩しながらも美味しいものをたくさん食べた。気になっていた近所のビストロ、季節のいちごパフェ、うなぎ、美味しい海苔弁、友達の結婚式、でっかい焼き小籠包……いろいろ食べた。海苔弁はこれ:専門店の海苔弁をじっくり1時間かけて食べたなら【いちのや】 | オモコロブロス! 春限定のメニューがあったのでそれをテイクアウトして、胃腸と相談しながらゆっくり食べた。温かなお弁当箱を抱きしめて心を弾ませながら帰路につく幸福よ。とろ鮭のふくよかな甘みとジューシーさ、漬物と海苔ともち麦ごはんの相性の良さが特に素晴らしかった。大海老の衣揚げもふわふわプリプリで、夫も気に入っていた。ちなみに翌週からうちのごはんも雑穀米ではなくもち麦ごはんになった。胃腸だけでなく気管支とか肌とかいろいろな調子を崩しがちな日々をすごしていて、それでも諦めたくないことはいくつかあり、それらを出来るだけ取りこぼさないように出来る範囲で工夫して生きている。ちょっとでも調子が悪いと最速で耳鼻科・内科・皮膚科・産婦人科に行く、お子ちゃんと夫を撫でて心をぽかぽかにする、体が重いな〜というときは軽くヨガをしてから寝る、とか。そういう小さなメンテナンスを欠かさずにいれば、意外と安定して過ごせるような気がしている。というか「メンテナンス」が必要な年齢になてきたのでそうせざるを得ない。メンテナンスコストを下げるために髪をバッサリ切ったりもした。やっぱりショートの方が褒められるし似合っているのかもしれない。変化する体型と焼ける食道はどうしようもないものの、それ以外はある程度コントロールしながら無理せずにあと数ヶ月を楽しんでいきます(宣言)。・結婚式の話をする!大学の友達の結婚式に家族全員で招待され、子連れで参加してきた。カバー画像はそのときに撮ってもらったもの。分かりづらいけれど私のドレスと子どものスタイの色使いを似たものにしていて、家族全員のコーディネートをちょっとまとめてみた。ニューオータニの日本庭園は広くて豪華で、桜はまだ咲いていなかったけれどとってもお目出度い気持ちで散策できた。子は「赤ちゃん」ではなく「お子ちゃん」になりつつあり、つまり乳児期が終わりつつあるのでなんとなく周りの雰囲気も分かるようになってきていて、挙式ではあまり声を出さずに抱っこされていてくれたし、披露宴ではパン職人が焼いたらしいミルクパンなどをモ
  • cover image
    トルコ旅行&イスラエル出張に行けました!!!!!イスタンブールのモスク→カッパドキアの洞窟教会→エルサレム、となんとも乱雑な聖地巡礼(?)をした。カバー写真は魔除けのお守り。 View this post on Instagram A post shared by YUKI (@yukidmy) 色々見聞きしたけれど私はやっぱり「視覚的にデカさを感じる場所」が好きなようで、ドルマバフチェ宮殿とカッパドキアの夕陽、エルサレム近郊の砂漠がとても心に残っている。特にドルマバフチェ宮殿は写真禁止だった分より一層焼き付いて離れない。それどころか思い出の中で徐々に美化されているような気すらする。一生に一度しか行かないかもしれない場所を訪れた後の感覚が久しぶりすぎて、それだけでも楽しい。ごはんが大体口に合ったのも嬉しかった。イスタンブールのサバラップとテルアビブのローカルフードは絶品だったし、クナフェ Kunāfah というチーズのお菓子はみんなでおかわりまでしたほど。それぞれの場所で特色あるコーヒーを出されたのも印象に残っている。中東は初めてだったから、複数ヶ所を回ることで文化の近さと差とを両方体験できたのがとても良かった。そもそも私は海外旅行が大好きで、言い換えると知らない場所・知らない文化に触れる経験を愛していて、それがないと自身の可撓性を保てないとすら思っている。ここ数年はそれを違う形(就職・引越し・異動・国内旅行・読書・映画・…)で補ってきたけれど、海外旅行は分かりやすく私に風を通してくれるからいいなあと再確認した。久々の海外、初出張、不安定な状況、感染症、など不安要素も多かったけれど、結果的には腹を下した以外は無事で、快適な旅だった。持っていった「写ルンです」を現像に出すのが待ちきれないけれど実はまだ使い切れていない。まだあと数枚撮れる。・無事で快適、と書いた直後に真逆の発言をすることになってしまうけれど、イスラエル三日目後半から体調が優れず、事情もあって旅程を二日短縮して早めに帰ってきたり、そのあとに入れていた予定をキャンセルしたりした。ただ原因ははっきりと分かっていて、しかもどうしようもないことなので、トルコもイスタンブールも悪くないです。人間にはいろいろあるのだ。完全に遊びきって残すは仕事のみ、というタイミングで体調を崩した
  • cover image
    食レポが苦手だ。つまり自身の感覚を言語化して他人に伝えることが苦手なのだが、もう少しだけ掘り下げると、私の場合は自分の感覚に対する不信感と言語化の訓練不足とに起因する食レポへの苦手意識を少なくとも十数年は抱き続けてきた。食品メーカーの官能評価やソムリエの試験ではないのだからそこまで深刻に考える必要はないというのに、世間で美味しいと評価されているものや比較的高額なものを口にするたびに「なにがどうして私はこれを『美味しい』と感じるのか」と必要以上に探ってしまって、あまりに複雑な味のものだと美味しさそのものを楽しめないことすらある。自身の感覚を表現するにはそれに対応する語彙が必要になるが、それを私は私の中だけで探し続けてしまって、結局見つけられずに行き詰まることばかりだ。それでも私が食レポへの憧れを捨てきれずにいるジャンルがいくつかあり、その一つがチョコレートである。チョコレートを表現する語彙ついて初めて真面目に考えたのは5年くらい前のことで、どこかの been to bar のチョコレートショップが開催するワークショップに参加したのがきっかけだった。申し訳ないことにショップの名前は忘れてしまったが、当日になって突然知人から「空きがあるから来ないか」と誘われたことは覚えている。用意された様々な種類のチョコレートを見て、嗅いで、割って、齧って、舌の上で溶かして、それからようやく飲み込む。普段の食事よりも数段丁寧に行うその作業を通して感じたことをひとつずつ言葉にする。この難しそうな作業を行う際にショップの方が駆使していた様々な語彙は、明らかに私のそれとは異なっていた。酸味や苦味といった具体的な要素についてももちろん言及していたが、私が今でもよく覚えているのは「乾いた土のような香り」というものだ。乾いた土。正直なことを言ってしまえば私には理解できなかった。乾いた土に触れたのは遠い昔のことだったし、意識して匂いを嗅いだこともなかったし、ましてやその匂いを食べ物への評価に使うだなんて想像したことも無かったのだ。正解があるわけではないし、感覚には個人差があると言われても、ここまで共感できない食レポも"アリ"なのか……と衝撃を受けた。「濡れた干し草の香り」という表現も新鮮だった。これはなぜか一瞬で感覚を共有することが出来た。干し草の香りに包まれたこともないというのにだ。語彙の少ない私は