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子どもを産んだ。だいたいのことは妊娠記録②に書いた。会陰は切ったしそこそこの後陣痛もあったが全て正常の範囲内で、要するに「安産」だったし、その後も大きなトラブルに見舞われることもなく退院の日を迎えた。帰りついた我が家には助産師などおらず、ただ育児初心者の私と夫と、眠る、不快を訴える、宙を見つめる、以外の行動を示さない生まれたての新生児とだけがいた。子の命は私たちの手中にあった。ちなみに帰宅後最初の食事では、夫が「妊娠中食べられなかったものセット」と称して用意してくれた生の魚介類やナチュラルチーズなどで生春巻き大会をやった。

生活は激変する。昼夜を問わず数時間おきに授乳を行い、細切れにされた残り時間で生活を維持する。子の体重を気にかけ、母乳やミルクの量にも不安を抱え、慣れない授乳や沐浴で身体を痛めながら日々を過ごすようになる。全ては子を中心に回る。眠ってばかりの生き物と暮らすことにも慣れてきたかな、と思う頃には子のほうも世界に慣れはじめ、「魔の三週目」と形容されるぐずり泣きが始まるらしい。先が思いやられる。

それでもなお、家に来たその子は光であった。新生児の眠る部屋では穏やかな時間が流れ、私たち親はまるで羽虫のようにそのやわらかな命に吸い寄せられる。頬を撫で、手を握り、抱きしめてみては理解し難い可愛らしさに動揺する。仕事を休みながら、つかの間の平和を享受する。叶わないとは知りつつも、他のことを全て放り出して、今この瞬間だけを慈しみたいとすら思う。寝不足でも、排泄物をかけられても、ただ願うのは健やかな成長のみだ。

行動は感情に先立つ、と信じて生きているから、兎にも角にも子への愛を表現してみている。新生児は可愛らしいが、それと愛とはイコールではない。子を、子との生活を、子を育てる自分を長く愛するためには多少なりとも努力と工夫が必要になる。愛があるから頑張れる、のステージに立つためには、まず愛を育まなければならない。そんなことを考えずにただ毎日「かわいいね〜♡」と言って愛着を形成できるならばそれで良いが、あいにく私はそこまで器用ではなかったから、命の脆弱さや先行きの不透明さに対する不安は飲み込んで、ただ愛と理性とだけを表に出すように心がけている。

……というようなことを産後ケア施設でぼんやりと考えた。新生児との暮らしは基本的には想像していたよりもずっと楽ではあったが、生活の変化そのものに未だ戸惑っている自分がいる。子の存在だけでなく自分の体調も万全ではないから自由に出歩けず、もちもちになった身体はやはり産後ももちもちなままで、授乳とオムツ替えとを繰り返すうちに日々は矢のごとく過ぎ去っていく。 まだ産褥期なのだから焦る必要などどこにも無いのに、日々成長する子にも先に職場復帰する予定の夫にも置いていかれるようで不安になる。精神のためにも何かしなくては、と思ったので取り急ぎB-LIFEの産後プログラムをやりはじめた。現在の体重は産前+6kg。一ヶ月ゆっくり頑張るぞ。