10月は一瞬で過ぎ去ってしまった。平日は仕事と子供のお世話ですぐ終わってしまうし、かと思えば休日はバスケ観戦に行ったり車で出かけたりBBQしたり、なんだかんだと予定が多くて本当に矢のように時間が飛んでいった。それから鼻と喉の調子が常に微妙で、ちょっと良くなったかと思うとすぐにまた上咽頭のあたりが痛くなるので、何度か耳鼻科に行った。子どもからうつされるのもあるし、寒暖差も多分ある。とはいえ病休は使わずに済んだので、体調に関しては復職後最初の一ヶ月としては上出来だろう。
肝心の仕事の方はまだあまり上手く回せていないと感じている。もともとそこまで勤勉な質ではないし仕事の効率もあまり良くないのに、保育園の送迎なども加わったから、結構頑張って仕事をするように心がけないと労働時間がどんどん減っていってしまう、ということには復職後一週間で気づいていた。頑張ると言っても「気が乗らなくても机に向かう」とかその程度からだが。とりあえずは短時間である程度の量をこなせるようになりたい。一ヶ月いろいろ試してみたけれど正直なところまだ全然だ。気分にムラがありすぎて困ってしまう。どうしたらいいんだろうね。
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子は遂に足を発見した。自分の足を掴んでころころと揺れる姿は宛らゆりかごのようである。かわいいですね。もう少しすると足も口に運ぶようになると聞いているので、少し楽しみにしている。ずり這いもどんどん上達して、方向転換はもうお手の物、プレイマットから飛び出して親の声のする方へと移動するようになった。体重増加も順調だし、離乳食も少しずつ食べ始めたし、どんどん人間らしくなっていってしまう。すでに少しさみしい。
出産前に思い描いていた共働きライフというのは「発熱で保育園から呼び出される」「夜泣きで睡眠時間が足りない」といったものだった。ところが蓋を開けてみるとこのふたつでは大して困っていなくて、「耳鼻科の定期通院が重い」「離乳食に時間がかかる」あたりが意外と大きい。でも基本的には仕事も嫌ではないし、退勤後に子に会うと可愛くて仕方がない。仕事と家族との両方を大切にすることで、それぞれとの快適な付き合いが可能になっていると感じている。会えない時間が愛を育てるって言うしな……と謎の納得感を抱きそうにもなるが、愛が育っているというよりは身の置き場を複数確保することでアイデンティティのバランスが安定する、とかの方がより正確かもしれない。
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子が私に抱かれて眠ってくれると、あまりの愛おしさに他の全てがどうでもよくなる瞬間がある。仕事も家事もやることがいろいろとあるのに、このまま私も一緒に横になってゆっくりすることが何よりも大切だと思う。本当に子が可愛くて抱きしめることが至上の幸福であるのか、起きているときの騒がしさとのギャップで気が緩むのか、ただただ疲れていて休みたいのかは分からない。ただオキシトシンがどばどば出ていそうな時間。犬と暮らしていた頃もよく近い感情を抱いていたし、子どもに対しても常にそうというわけではないけれど、でもそういう瞬間があるとこの先も頑張ろうと思えるから不思議だ。前に読んだ本の内容に「幸福はセロトニン→オキシトシン→ドーパミンの順番で実現する必要がある」というものがあって、マズローの欲求5段階説にも通ずるところがあるなと思ったことを覚えている。つまりオキシトシンどばどばタイムがあるということはドーパミンが出る行為への準備が出来ているいうことだ。「家族がいるから頑張れる」みたいな言説はここからくるのだろうか。とかそんなことを最近は考えていたりする。
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おしまい。ちょっと書くのが遅くなってしまったけれど、一応10月分も記録を残せてよかったです。