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昨年の産休取得により余っていた有給休暇を使って、なんとこのGWからお休みすることになった。

そういうわけで夏ごろにまた子どもを産む予定なのだが、第一子のときと比較してあまりにも楽観的な自分(と夫)がなんだか少し面白い。去年は期待と同じくらいの不安を抱えていたというのにね。今回はもはや「新生児期よりも今の子のほうがかわいい、ようやくここまで来たのにまたあれを最初からやるのか??」とすら思っている。慣れとは恐ろしいものです。

お休みに伴って業務の引き継ぎやら様々な書類手続きやらがあり、遅れたら迷惑だからと前倒しでいろいろ進めた結果、勤務最終週にはあまりやることが無くなってしまってゆっくり過ごしていた。前回もそんな感じだった気がする。手持ち無沙汰は性に合わなくて、そわそわそわそわと落ち着きのない妙な期間だった。

アイキャッチは産休記念(?)で食べに行ったピザの写真。初めて入ったお店だったけれど想像以上に美味しかった。生地がもちもちで私好みな感じ。また行きたい。

今年は桜の開花が遅かったので、今月前半は何度かお花見に行って、子どもに桜を見せることができた。

この一年間は子にとって何もかもが初めてで、その貴重な出会いを逃すまいといろいろなものを見せよう感じさせようとする過程で、私たちも大切な瞬間をたくさん見せてもらった。例えば器用になってきた指先で桜の花びらをつまむ姿。その花びらを口に運ぼうとする様子。花びらまみれの大地を靴下で踏みしめたときのきらきらした目。きっと全部が子にとっては必要な経験で、今を逃すともう得られなかったものなのだろうと思うと早すぎる哀愁で心がきゅっと締め付けられる。

でもきっとこの先も成長した頭と心と身体との全てで巡る季節を満喫してくれるだろうし、それは決してただの繰り返しなどではなく毎度新しい出会いがあるのだろうし、何なら私たちにとってだって子を持ってからの生活は全てが新しく鮮やかなものになったのだから、ただただ今を楽しむのが一番素敵な過ごし方となるはずだ。子の一歳の誕生日が近づくにつれ、時間の使い方について考えることが増えてきた。また新しい一年間を一緒に歩ませてもらえる幸福を噛み締めていきたい。

ふんわりしたメモ。人生について考える機会が様々あり、何でこんなにきっかけが重なったのかは不明だが、とにかく他者との誠実な関係性を実行しつつも思い描く自己像を維持・実現しつづけるためにはその間で生ずる矛盾や衝突に対応する能力が必要で、それはおそらく言語化やコミュニケーション、すり合わせ、実行、といった様々な能力に細分化されるわけだけれど、プライベートにおいても仕事などのパブリックな場においても私に足りていないスキルって結局同じでは? という結論に至ったりした。もう少し掘り下げて考えたほうが良いような気がする。30歳に向けてもうちょっと良い人間になりたいとか子にとっても夫にとっても良い親/パートナーでありたいとか死ぬまでに出来るだけ自己への解像度と満足度とを上げたいとかそんなことを考えている。

おわり。月末から小旅行に出かけていたので書くのが遅れました。