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かわいいかわいいお子ちゃまがついに一歳の誕生日を迎えた。

ちょこちょこ歩くようになったので靴を買いに行ったりもして、さすがに時の流れを感じざるを得ない。Instagramにも書いたとおり、とにかく手足が長くなって、プロポーションが少しずつ大人に近づいてきた。人間はやっぱり頭が大きい状態で生まれてくるんだなというのを今更ながら感じている。「なにもわかりませんがとにかく不快です」みたいな泣き方しか出来なかった小さな命が、今では食べたいもの触りたいものを指差して伝えられるまでに成長したという事実には月並みながら感動するし、同時にある程度しっかりしてきた身体にもうSIDSの心配もないだろうと安心したりもする。ちなみにカバー画像は子の水族館デビューの写真。きらきら光る魚たちを夢中で指差ししながら、お昼寝の時間を過ぎてもずっと興奮していた。かわいいね。楽しんでくれてよかった。

親業は今のところは産前の想定よりもずっと面白い。もちろん大変なこともあるし、日々の自由な時間は確実に減ったけれど、愛着形成がそこそこ上手く行った結果なのか毎日オキシトシン?がドバドバ出ているような気がするし、自分の愛を向ける先がひとつ増えたというのは幸せなことだなと感じる。最近では就寝前の子に「だいすきだよ♡」と言う時間が一日の中で一番好きだ。ごはんとかお風呂とか重めのタスクをやりきって、子への愛情だけを抱きながらふわふわの髪を撫でられる贅沢な時間。親子関係はいずれこんなにシンプルなままではいられなくなるだろうけれど、こんなに穏やかな気持ちで向き合えていた時期が存在したという事実はきっと今後の支えにもなってくれるような気がしている。そうでなくとも、忙しい日々の中に短くとも心を落ち着けられる時間があるというのは精神衛生上とても良い。私としては子が私の身長を超す日が来たとしても毎日「だいすきだよ♡また明日ね♡おやすみ♡」と口にするのもやぶさかでないのだが、いつまで受け入れてくれるのだろうか……。

産褥期! 産後! からだ大切に! と嫌になるほど言われていた産後すぐの頃は「一年も経てば『産後』は終わりで、体調も体重も戻って元気モリモリなんだろうな〜」と思っていたというのに、なぜか今は第二子の出産に向けたおやすみ期間に突入してまた「産前」を過ごしている。人生は何があるか分からないものだね。

大きめな買い物をした。ずっと買うかどうか悩んでいた鞄をついに買った。私のワードローブと向き合った結果必要だと(脳内会議で)認められたものの、金額のみを理由として躊躇していたものだった。店舗でその鞄と見つめ合っては悩みながら帰宅する、ということを数回繰り返した後、どうせいつか買うのであれば各社の値上げラッシュを鑑みても早く買うべき、黒色なら長く使えるよね、ちょうど産休にも入ったし記念にもなるかな、というか今年は体型変化が大きすぎて服とか指輪とかは買えないから鞄を買うのに最適な年なのでは!? などの理由をこじつけて、夫に恐れられながらも買った。が、妊娠後期に入って外出も面倒になってきてしまったので、新しい鞄の出番はもう少し先になりそうである。ついでに七年間使った財布も買い換えようとしている。

贅沢をした代わりと言えるのかどうなのか、使っていない/ときめかない/古くなったのに手放せずにいたあれこれをまとめて買取業者に送り、クローゼットの中を改めて整理整頓して、所謂「一軍だけ」の状態に少し近づけてみた。運動着とか子どもに汚されても苦ではない便利な服とかは当然手元に残してあるが、どれも着用したときに気分の下がらないものだけにしてある。あとはまた産後に落ち着いた体型でまた必要なものを揃えて、三十歳に向けたスタイルを考えていきたい。

ワードローブとか持ち物とかでいうと、ミニマリストになりたいわけではないが、ミニマリストの持っているものにはとても興味がある。彼/彼女らの厳選された、高頻度で使われているものというのはきっとミニマリスト以外にとっても便利だろうし、その選び方というのは結構参考になったりもするから面白い。似たような理由で what's in my bag みたいなコンテンツも好きだし、これには全然共感できないことも多いが、偏愛品紹介のようなものも好きだ。所持するものにはその人の人となりや人生が現れてくるので、他人の持ち物は常にうっすらと興味深く眺めていたりもする。

おわり。夫がめちゃくちゃに体調を崩したり仕事が忙しかったりで私が子ども担当になることが多く、ちょっと疲れたりもしたものの健康を維持して乗り切った一ヶ月だった。妊娠後期の驚くほど眠たい時期に突入したので、来月もよく眠りながらゆるく過ごそうかな。