cover image
8月が終わってから3日も過ぎてしまった! 生産的でいられる時間が短すぎる!この一ヶ月は、人間は out of control な事柄に直面すると祈りはじめるんだなというのを日々実感しながら過ごしていた。つまり、夜間授乳がしんどくて、毎晩眠る前に「今晩こそは長く眠ってくれますように……!」と祈りを捧げているということだ。信心深いわけでもないので、何に対して祈りを捧げているのかは不明だ。赤ちゃんのお世話そのものは二回目ということもあり何も困っていないものの、毎晩の深夜授乳だけはきっと何度目でもしんどいと思う。基本的に深夜授乳はひとりで担当しているので、日中の頭の明晰度がぐんと下がり、気づいたら一週間が過ぎ去ってしまってぞっとする、というのを繰り返して一ヶ月を終えた。深夜対応はひとりで担当していると書いた。では夫は何をしているのかというと、主に上の子のお世話を担当してくれている。これはこれで大変で、毎日のごはんや保育園送迎などをこなしつつ、私が朝数時間一人で眠る時間を確保してくれている。これ以上の最適化はどう頑張っても難しい感じが強くて、やっぱり実家が近くて協力的だとかベビーシッターが毎日来てくれるとかそういう環境でない限り、歳の近い子どもを三人もつというのは無理そうだなと、そんな予定もないのに考えたりする。歳が離れていて、上の子はもう身の回りのことは自分で出来る、とかであれば話は変わってくるのかもしれない。少子化を感じる。私個人は三人目の予定は最初からないです。閑話休題、夜間授乳の話に戻る。もちろん産後ケアにも行ったし、たまに深夜対応は夫に任せてぐっすり眠らせてもらったりはしている。が、これらはその場しのぎのものでしかなくて、結局のところ子が長く眠れるようになるまでは耐える・頑張る・諦める以外に出来ることはない。時が解決してくれる、ほんの数ヶ月の話だとはいえ、しんどいものはしんどいのだ。それでも 、私は世の中の多くの産褥婦よりは元気に生きているらしくて、産後一ヶ月なのに元気すぎるというようなことを複数回言われたし、実際ちょこちょこお出かけも出来た。家のこともそこそこやれている。これ以上にしんどい思いをするとなると、もう育児以外何もできず、一か月もせずに心が折れてしまいそうだ。早く生活が落ち着くように、今後は自分の分だけではなく世界中の夜勤担当者の分まで祈ることにする。二
cover image
無事に第二子を出産した。妊娠記録③に書いた通り今回は会陰切開をせずに済み、そのおかげかとても元気な産褥期を過ごせている。二度目でも深夜授乳はしんどく、既に「母乳育児なんてやめてしまえ! 解散!」みたいな気持ちになってはいるが、それ以外は概ね順調である。というか元気すぎてよく動いてしまい、逆に回復が遅くなりそうなほどに体調は良い。体力があって本当に良かった。ちなみに今回夫が用意してくれた退院後の「妊娠中食べられなかったものディナー」は生ハム祭りだった。新生児育児そのものへの不安は前回の経験のおかげて大分緩和されているが、それでも生活はまた激変したし、適応するまでには時間を要する。退院後の生活において前回と圧倒的に違うのは当然ながら第一子の存在である。上の子のお世話はほぼ夫が担ってくれていて、しかも保育園にも継続して通わせられているけれど、週末なんかはもう大変。新生児ひとりに対して大人ふたりでお世話を回せていたあの頃とはやっぱり違う。わちゃわちゃ。しかし、本質的にストレスを感じているのはお世話の大変さに対してではなく、どちらかというと十分に可愛がれていないという点に対してだ。イヤイヤ期とまではいかないけれど自我を見せつつある一歳児はとっても可愛くて、今までよりも子ひとりに対して割ける時間が減ってしまったのがさみしい。でも新生児は新生児で目を離せない今だけの魅力があって、当然ながら手もかかる。自分がふたりいればいいのに、子どもたちから溢れ出る可愛さと生命力とを抱きとめきれていないのが、この瞬間だけの愛らしい姿を十分に見ることが出来ていないのが、大切な思い出が指の隙間からこぼれ落ちていくのを止められずにいるようで、苦しい。しかしながら子どもが二人になったことで新しく生まれる光景も当然あり、それも非常に面白いというのだから、なんとも贅沢な悩みである。そういうわけで、新生児を触りたがる一歳児に「やさしくなでる」を教え込んだり、授乳中で手が離せない私の目前で絵本が折り曲げられていくのをなんとか止めようとしたり、産後ケア入院中に夫から送られてくる上の子の動画を見て今すぐに抱きしめたい気持ちになったり、というような生活を送っている。ところで、先月書いた肉体の主導権は、何となく取り戻しつつある感覚がある。今はスポ根母乳育児をやっているのでまだ新生児の栄養源として生きている側面が強いが、
cover image
2024年7月、第二子を出産した。まさかの年子である。前回に引き続き見守って応援して支えてくれた方々には感謝の気持でいっぱいだ。これが私の最後の出産となる予定なので、初産のときほど詳細ではないものの改めて記録を残しておこうと思う。新生児はやはりほわほわとした不思議な存在だ。前回と大きく違うのは約一年後の姿が横にあるということで、第二子のまだ何もわかっていない可愛らしい様子を見るにつけ第一子の当時の様子が思い出され、成長を感じてちょっと嬉しくもなる、という謎の一挙両得な生活を送っている。今が人生のボーナスステージなのかもしれない。というか振り返ればもうここ何年もボーナスステージだなあと思いながら生きているので、今後もこの調子で楽しんでいきたい。欲しい物リストも前回同様に公開しているので、もしなにか贈りたくてたまらない人がいたら見てね!※ 本記事は全て個人の体験を記録したものでしかなく、医学的な裏付けなどはちゃんと調べていません。妊娠初期つわりの始まりはいつも旅の思い出とともにある。前回の旅先はイスラエル、今回は愛知県だった。これまた前回と同じく妊娠5週目のある日、突然の吐き気に襲われて、帰路の心配をしながら妊娠に気付いた。というか知らない土地のドラッグストアに駆け込んで検査薬を買い、陽性反応を確認したのであった。もし妊娠じゃなかったらただの体調不良ということになるので、それはそれで病院に行く必要がありそうだったから、さっさと確認したかったのだ。心当たりがないとはさすがに言えない。が、二人目のときにも不妊治療が必要だろうと思っていたのも産後で月経周期が整っていなかったのもまた事実で、にわかには信じがたかった。もともと子どもは二人がいいと話していたこともあり嬉しいニュースではあるものの、思っていたよりもずっと早いタイミングだったので、二人で驚きながら「これはまた大変なことになりましたね……」と笑うことしか出来なかった。この時点ではまだ喜びよりも驚きが勝っていたというのが正直なところである。その後なぜか全く気持ち悪くない一週間を過ごし、産科で妊娠を確認してから本格的なつわりに突入した。第一子出産後の体重が戻りきっていなかったため、するする減る体重に糠喜びもしたが、既に対処法を知っていたので最終的にはそこまで痩せず、嬉しいような残念なような微妙な気持ちになった。つわりが始まる
cover image
臨月に入った。逆流性食道炎が酷く、恥骨は痛み、日々眠気と戦っている。腹ももう限界で、大きく動かれると痛みすら感じる。早く器としての生活を終わりにして肉体の主導権を取り戻したい。・子どもがよく歩くようになり、週末の公園通いデビューを果たした。当然まだずっと立ってはいられないので湿った土の上にも座り込むし、草花や石ころを触りまくって爪の隙間まで泥まみれになるし、まあ大変ではあるが、30分でも公園で過ごさせるとその後の睡眠が深くなったり、ずっと家で過ごすよりは発達にも良さそう、休日限定の姿が見られる、と良いこともいろいろある。何より、朝ごはんを終えて一息つくと玄関で靴を履こうとする(が、まだ履けない)ような子どもなので、外で楽しそうに過ごす様子を見ていると自然と「晴れたら一回はお外に行こうかな」という気持ちになる。汚れてもいい服で過ごしていることもあり、砂まみれの子に抱きつかれることにも抵抗が無くなってきた。子どもが出来るまでは行ったことのなかったような近所の公園で子どもを追いかけて過ごしていると、暑いし汚れるし虫もいるしで一人だったら絶対にもう来ないだろうなと思ったりするというのに、悪い気はしないから不思議だ。歩き始めたもののまだ一人で公園に辿り着くことは出来ない一歳児を誘導したり抱きかかえたり、なんなら腹に突撃されたり、といった妊娠後期の生活。一人目の産休との差に笑ってしまいそうになりながら、胎内でもうひとりを育んでいる。・なんだかんだで英会話を続けている。今月はテストを通過したのでテキストのレベルが上がったりもした。正直なところまだまだ自由に話せている感じはなくて、というか仕事を休み始めてからどんどん英語を忘れているような気さえしていて、まだまだ伸びしろは多い。それでも少しずつステップアップできていると太鼓判をもらえるのは嬉しい限り。今後も細く長く継続できるようにしたい。・おしまい。カバー写真は産前最後ねって食べに行ったお寿司屋さんのエビ。
cover image
かわいいかわいいお子ちゃまがついに一歳の誕生日を迎えた。 View this post on Instagram A post shared by YUKI (@yukidmy) ちょこちょこ歩くようになったので靴を買いに行ったりもして、さすがに時の流れを感じざるを得ない。Instagramにも書いたとおり、とにかく手足が長くなって、プロポーションが少しずつ大人に近づいてきた。人間はやっぱり頭が大きい状態で生まれてくるんだなというのを今更ながら感じている。「なにもわかりませんがとにかく不快です」みたいな泣き方しか出来なかった小さな命が、今では食べたいもの触りたいものを指差して伝えられるまでに成長したという事実には月並みながら感動するし、同時にある程度しっかりしてきた身体にもうSIDSの心配もないだろうと安心したりもする。ちなみにカバー画像は子の水族館デビューの写真。きらきら光る魚たちを夢中で指差ししながら、お昼寝の時間を過ぎてもずっと興奮していた。かわいいね。楽しんでくれてよかった。親業は今のところは産前の想定よりもずっと面白い。もちろん大変なこともあるし、日々の自由な時間は確実に減ったけれど、愛着形成がそこそこ上手く行った結果なのか毎日オキシトシン?がドバドバ出ているような気がするし、自分の愛を向ける先がひとつ増えたというのは幸せなことだなと感じる。最近では就寝前の子に「だいすきだよ♡」と言う時間が一日の中で一番好きだ。ごはんとかお風呂とか重めのタスクをやりきって、子への愛情だけを抱きながらふわふわの髪を撫でられる贅沢な時間。親子関係はいずれこんなにシンプルなままではいられなくなるだろうけれど、こんなに穏やかな気持ちで向き合えていた時期が存在したという事実はきっと今後の支えにもなってくれるような気がしている。そうでなくとも、忙しい日々の中に短くとも心を落ち着けられる時間があるというのは精神衛生上とても良い。私としては子が私の身長を超す日が来たとしても毎日「だいすきだよ♡また明日ね♡おやすみ♡」と口にするのもやぶさかでないのだが、いつまで受け入れてくれるのだろうか……。産褥期! 産後! からだ大切に! と嫌になるほど言われていた産後すぐの頃は「一年も経てば『産後』は終わりで、体調も体重も戻って元気モリモリなんだろうな〜」と思ってい