桜はもう見る影もなく、クローゼットには半袖が溢れかえり、近所のコンビニではパピコが売り切れている。あまり実感のないままに新年度を迎えて一ヶ月が経とうとしていて焦燥が募る。どうしてこんなに「新年度」感がないのだろう、昔はもっとドキドキワクワクちょっぴりナーバスな気持ちがあったのに、と改めて振り返ると、年度を跨いだところで自分自身にはそれほど大きな変化がなく、子どもたちの変化は負担を減らすためにと3月頃からシームレスに行われていて、寧ろ変化がないのは狙い通りということなのであった。とはいえ新年度、私たちには変化がなくても新入園児や新入社員は身近にいるわけで、新しい関わりが日々生まれている。昨年は繊細さが前面に出ていた上の子も今年はちゃんと先輩面することを学んだようで新しいお友達とも遊べているし、下の子はあまり物怖じせず慣らし保育に来ていた保護者に力強いずり這いを披露していたらしい。私たちのしらないところで、子どもたちはどんどん成長している。子を産んで保育園に預けてから、時が経てば経つほど私たちの知らない子どもたちの姿が増えていく。それは全く悲しいことではなくて、他の子や保育士さんとの関わりのなかで家では見せない個性が花開いているということに違いなく、つまり私たちが早くから保育園に預けている目的(社会性の養成)に沿った成長を遂げているということなのだが、そうは言ってもたまにさみしくなってしまう。全部見たいなと思ってしまう。我儘で欲張りな母である。私は私で、子どもたちも夫も見ていない場所でしか見せない姿がきっとある。自分の親の、家では見せない姿を初めて見たのはいつだっただろうか。子どもたちが私の「母」以外の面に気づいたときに、あなたのしらないわたしも楽しそうでしょ、と胸を張って言えるだろうか。とか考えてしまうのは実は新年度特有のナーバスさを少し抱えているからなのだろうか。春。 気づけば春になっていて、コートのいらない日が増えていた。とにかくずっとスケジュールとTODOに追われ続けていた一ヶ月だった。上の子のコース料理デビューとか、春らしくいちご狩りとかお花見とか、一週間近い病児保育とか、いろいろあるにはあったのに、体調は優れないしタスクは山積みだしで、これを書くのもとっても遅れて、「疲れたょ」としか言えないくらいには疲れた。ちなみにこれは「やだょ」「ちかいょ」などいろいろな言葉に「ょ」をつけて喋れるようになってきた上の子の真似である。対して下の子は「ア゙ー!」「あ〜♡」を繰り返せるようになり、限られた語彙(?)で会話をしてくれる。かわいいょ。めちゃくちゃ忙しく過ごしている理由はフルタイム労働と子育てに加えて家(物理)のことも佳境を迎えているからというのが大きい。これはもうどうしようもなく、あと数ヶ月頑張って乗り越えるしかないので、とにかく毎日歯を食いしばって生きている。食いしばりすぎてエラが張ってきたように感じていてもはや逆エラボトックス状態である。ひとつひとつのタスクがちゃんと楽しいものであるというのは救いだが、いかんせん決めることが多くて、パンクしそうというか気づいていないだけでパンクしているような気がする。この気付かないというかストレスをある程度無視して突き進んでしまうところが問題で、無視し続けた結果あまり望ましくない状況に陥ってしまうようなことが何度かあったので、諸々落ち着いたら温泉にでも行きたい。でも落ち着く頃には夏だから温泉の季節とは真逆だ。何をするのが良いのかな。避暑地にでも行くかな。それから夫婦間での家庭運営バランスを再調整しているのも結構負担が大きい。子どもがふたりになって、私も復職して、もう出産予定はないからあとは労働と子育てとをやっていくだけとなり、誰も倒れずに長期間頑張れるような体制を模索している。フルタイム共働き実家サポートなし年子育児、悲観的に予想していたよりはなんとかなっているが、日々の暮らしをなんとかすることが出来たとしても誰かが体調を崩したらおしまいになるというギリギリ感があり、生活にハリが出ているというかハリしかない。もう少しメリたい。家族みんなでメリたい。とはいえ例えば土日にゆっくりお花見でもしようかと思っても、子どもの過ごす時間は大人のそれよりもずっと早いので、子どもたちのテンションやスケジュールに 月初めに発売されたCiv7を大喜びでプレイしていたら、下の子が生後6ヶ月でRSウイルスに罹患し、治ったと思ったら今度は私が風邪を引き、確定申告にも追われ、なんだかんだと心身ともに忙しない月だった。SRウイルスはポピュラーで、大人には大したことのないものだが、乳児のうちだけ重症化リスクが高い。最近アブリスボという母子免疫ワクチンが(自費で)使えるようになったが、私はギリギリ妊娠中に打てず、まあでも上の子は罹らなかったし大丈夫だろうと高を括っていたら発症、という悲しい展開だった。まだ重症化リスクが高いのでたくさんの薬を飲み、毎日小児科に通って診察と吸入、喘鳴が落ち着くのは抱っこ時のみ、当然自宅保育、上の子がくっつきたがるのを少し遠ざけながら、夜中に急変しないか不安ななかで眠り、仕事はあまり進まず、しかし入院せずに済んだのでヨシ、という一週間を過ごした。二人目はやはり上の子からうつされるので、罹患することがとても多いらしい。保育園入園前でも重症化して、入院することになったという知人もたくさんいた。何度もかかるものらしいが、とりあえず一歳になるまで無事に乗り切れることを祈るばかりだ。・書くか迷ったがtimeleszの話をする。オーディションをすると聞いたときは「ああ確かにやりそうだな」と思ったし、番組も最初こそピンとこなかったものの最後まで楽しく見られたが、メンバーが決まって最初の配信を見たときに私が好きだったものとは全く違う形になっていることを急に実感した。それまではあくまでもオリジナルメンバー中心で進んでいたからグループとしての連属性が保たれていたのが、候補生ではなくメンバーとして複数人を迎え入れた途端に既存メンバーの関係性も変化して、良くも悪くも大きく変わった。人はやはり絶対的なものではなく他者との関わりの中で相対的に定義されていくものなので、当然ではある。彼らは先を見つめて破壊的な改革を行って進んでいく。私はそれを否定するわけではなくむしろ尊重するが、ついていくかどうかは別で決める。それだけのことだ。ところで『革命のDancin' night』がめちゃくちゃ良かった。 完成度が高すぎるしよく分からんトラブルもなかったしでストーリー自体も大人っぽくて、曲もダンスも衣装も全部私が見たいアイドル像に近く、最近はこればかり見ている。早くレコーディングして聴かせてくれと思う一 私の愛してやまない『ハイキュー!!』に、「愛車をピカピカに磨くみたいなバレー」というセリフがある。大人になるにつれて思考は凝り固まり視野は狭くなり、自分自身を大きく変えることは難しくなってしまうんだろうなと昔から悲観してきたし、実際そういう側面もあるだろうし、既にその気配を感じ始めていていて、では残りの人生をこのままで過ごす以外に出来ることは何かというと、おそらく自分を諦めずに少しずつ磨いて叩いてたまに付け足して絶えず変形させていくことなのだろうと思う。ベースの自分は失わずに改良を重ねること。急に大きな変化を期待するのではなく腰を据えて気長に取り組むこと。謙虚に、根気よく、前向きでいること。何度でもその姿勢に立ち返ること。これを大切にする一年とします。・二年ぶりにスノボに行った。妊娠中は当然滑れないので、無事に産んでまた雪山に行くのを心待ちにしていたのだ。子どもたちの雪山デビュー!上の子はそり滑りを甚く気に入り、下の子はかまくらでニコニコ、とそれぞれ楽しめていた様子です。私もほぼ一日滑れてとっても幸せだった。いっぱい子守りしていてくれた夫にも急遽遊びに来てくれたお友達にも感謝☃️ pic.twitter.com/jAvMpZUM7x— YUKI (@yukidmy) January 19, 2025
車で数時間かけて移動し、おそろいのスノーウェアを着て、初めての雪山に降り立った子どもたち。緊張しながらも雪を踏みしめてそろりそろりと歩く上の子と、石油ストーブでぬくぬくな休憩室でごろごろ転がる下の子、という感じで、それぞれの初雪山を楽しんでいた。今回は託児所のあるスキー場を選んだので、半日だけ預けて夫婦+友だちで滑ったりもしつつ、あとの時間はどちらか片方が滑りに行ったりみんなでキッズエリアで遊んだりして楽しく過ごせた。かまくらもあったし温泉にも入れたしごはんもたくさん食べて大満足。どうしても添い寝になるので、普段と比べてしまうと睡眠環境は酷いものだったけれど、それでも頑張って行ってよかった。子どもたちを預けて大人だけで遊びに行った雪山は、何とも懐かしい感じがした。数年前の私たちは、富良野でワーケーションをしたりニセコでバックカントリーツアーに参加したり野沢で滑ったあとに温泉巡りをしたり、とても贅沢な時間の使い方をしていて、その当時と同じウェアを着てリフトに乗っている 年の瀬である。復職して、上の子が胃腸炎になって、クリパをして、税金の計算をして、と慌ただしく時が過ぎていった。毎年こんな感じだな。今年一番大きかった出来事は当然のことながら出産だった。第二子が生まれて家族が揃い、このメンバーで頑張っていくのだという決意を新たにした一年間だった。産前から夫と話していたことの一つに「期待よりも愛を与えたい」というものがある。期待ゼロというわけではもちろん無いし期待が奏功するときもあるけれど、それは多分無意識でもやってしまうことなので、どちらかというと愛を伝える努力をしていきたいよね、というような話だ。ところが産んでみたら、子どもたちは生まれついてのきらきらな宝物ちゃんであって、頑張らずともきらきらに身を任せていたらちょっとやりすぎかと心配になるくらいに毎日もちもちぎゅっとしてしまっている。むぎゅむぎゅされる生活しか知らない上の子は自然と下の子にべたべたするようになったし、きっと下の子もそうなるのだろう。これでいいのかどうかは不明だけれど、少なくとも産前の不安まみれだった自分には大丈夫だよ愛はたっぷりだよと伝えられる気がする。ちなみにカバー画像は下の子のふさふさきらきらな髪だ。風に揺れるすすきのような美しさ。毎日ふわふわなでなでしている。逆に子どもたちから親への期待は留まるところを知らない。親として未熟だとか心身ともに余裕がないとかそういうこちらの事情は全く考慮されず、子どもたちはいつも全幅の信頼を寄せてくる。求めればいつでも好きな場所に抱っこで連れて行ってもらえると思っている。上の子はいわゆるイヤイヤ期に入って、しかしイヤイヤではなく「ママ/パパ(が)いい」と泣きながら抱っこを要求し続けているし、下の子は抱っこでないと泣き止まない瞬間がとっっっっても多くなってきた。一度にふたり抱っこするのは難しいのでその場で満足させられないこともあって申し訳ない。とはいえ、こんなにも熱烈に求められるのは何とも光栄なことである。これがいつまで続くのかはわからないけれど、出来るだけ長く期待に応えられるように、少なくとも応えようと努めている姿を見せられるように、全力で誠実に向き合えるように、自分を整えていきたい。とりあえず今月は人間ドックをちゃんと受けに行った。来年の目標は産後ダイエット完遂です。あとはどうしようもないことに執着せず、コントロール可能な範囲に