# Health

  • cover image
    2024年7月、第二子を出産した。まさかの年子である。前回に引き続き見守って応援して支えてくれた方々には感謝の気持でいっぱいだ。これが私の最後の出産となる予定なので、初産のときほど詳細ではないものの改めて記録を残しておこうと思う。新生児はやはりほわほわとした不思議な存在だ。前回と大きく違うのは約一年後の姿が横にあるということで、第二子のまだ何もわかっていない可愛らしい様子を見るにつけ第一子の当時の様子が思い出され、成長を感じてちょっと嬉しくもなる、という謎の一挙両得な生活を送っている。今が人生のボーナスステージなのかもしれない。というか振り返ればもうここ何年もボーナスステージだなあと思いながら生きているので、今後もこの調子で楽しんでいきたい。欲しい物リストも前回同様に公開しているので、もしなにか贈りたくてたまらない人がいたら見てね!※ 本記事は全て個人の体験を記録したものでしかなく、医学的な裏付けなどはちゃんと調べていません。妊娠初期つわりの始まりはいつも旅の思い出とともにある。前回の旅先はイスラエル、今回は愛知県だった。これまた前回と同じく妊娠5週目のある日、突然の吐き気に襲われて、帰路の心配をしながら妊娠に気付いた。というか知らない土地のドラッグストアに駆け込んで検査薬を買い、陽性反応を確認したのであった。もし妊娠じゃなかったらただの体調不良ということになるので、それはそれで病院に行く必要がありそうだったから、さっさと確認したかったのだ。心当たりがないとはさすがに言えない。が、二人目のときにも不妊治療が必要だろうと思っていたのも産後で月経周期が整っていなかったのもまた事実で、にわかには信じがたかった。もともと子どもは二人がいいと話していたこともあり嬉しいニュースではあるものの、思っていたよりもずっと早いタイミングだったので、二人で驚きながら「これはまた大変なことになりましたね……」と笑うことしか出来なかった。この時点ではまだ喜びよりも驚きが勝っていたというのが正直なところである。その後なぜか全く気持ち悪くない一週間を過ごし、産科で妊娠を確認してから本格的なつわりに突入した。第一子出産後の体重が戻りきっていなかったため、するする減る体重に糠喜びもしたが、既に対処法を知っていたので最終的にはそこまで痩せず、嬉しいような残念なような微妙な気持ちになった。つわりが始まる
  • cover image
    親不知を抜いた。左右の下顎に埋まっていたそれらが臨月に顔を覗かせはじめ、しかし出産直前にトラブルを抱え込むわけにもいかず、産後に抜こうねという話になっていたのを、満を持して抜いた。抜歯と抜糸、「ばっし」と読まれる二つの単語が混在する治療を受けると、様々な説明を聞くたびに少し混乱するというどうでもいいことを学んだ。虫歯とは無縁な人生を歩んできたため、本格的な歯科治療は初めてである。顎にかかる力も歯茎の中を弄られる感覚もあまりに恐ろしく、最終的に力尽くで行われるその処置には怒りすら覚えた。こんな目に合うために生きているわけじゃない、多くの人がこんなことを経験しているだなんて信じられない、しかも麻酔が切れたら痛みと腫れとに襲われるだなんて耐えられない、と意気消沈した。しかし蓋を開けてみれば痛みも腫れもほぼ無く、口は開けづらかったし糸も多少は邪魔だったが処置自体の異常さとは比にもならなかった。30分程度の恐怖は、振り返ってみればまあ貴重な体験だったと言えなくもない。二度とごめんではあるが。そんなこんなで今月は産休中に済ませておきたい面倒なことを順番に片付けながら過ごしていた。ちなみに歯科治療を経てクリアしたのは不要な歯との離別のみではない。子の睡眠中の外出も同時に試すことが出来た。夫の育休が終わり、平日は主に私が子のお世話をしているが、当然私がひとりで済ませたい用事もある。心配しつつ試してみたところ、仕事中であっても子が寝ているのをベビーモニターで見ていてもらいさえすれば、私が数時間外出しても支障はないようだった。アイキャッチもひとりで見に行ったマティス展のもの。新しい生活での時間の使い方を模索している。・7月になって、夫は仕事に戻った。私はというと特に何をするでもなく、子の面倒を見ながら家事を片付け、予防接種や保育園見学に行ったりもしつつ基本的にはゆるゆると日々を過ごしている。子がそこそこ良く眠ってくれることもあり、当初案じていたほど大変な生活にはならなかったので、相変わらず土日は人を招いて家で遊んでもらうことが多い。子には様々に生きる大人を見て育ってもらおうと思う。子の写真や動画を見返していると、この一ヶ月だけでもたくさん成長したことがよく分かる。全身がふっくらとしてきて、よく微笑むようになり、クーイングも盛んになった。自分の手を口まで運んで舐められるようにもなった。寝
  • cover image
    2023年5月に元気なあかちゃんを産み、長くて短い妊娠期間が幕を閉じた。所謂コロナ禍にあってもこちらの希望に最大限寄り添ってくれた医療関係の方々、産休育休のみならず妊娠中の働き方の変化も快く受け入れてくれた同僚、遠近問わず見守って応援して支えてくれたたくさんの人々、妊婦生活を明るく楽しい素敵な思い出にしてくれた夫、誰ひとりとして欠くことの出来ないあたたかな10ヶ月だった。あかちゃんはほわほわしていて、でも既に意思の萌芽は感じられて、泣き声にも一応の個性があり、なんとも不思議な存在だ。親子ともに初心者であり今はお互いに距離を探り合っているが、非日常が日常へと近づくその過程もまたいつか振り返って楽しかったと言えるように過ごしていきたい。ということでここからは 妊娠記録 - 妊活〜妊娠初期 の続きを書いていく。欲しい物リストも一応公開しているので、もしなにか贈りたくてたまらない人がいたら見てね!※ 本記事は全て個人の体験を記録したものでしかなく、医学的な裏付けなどはちゃんと調べていません。妊娠中期(5-7ヶ月)いわゆる安定期に入り、マネージャー以外のチームメイトにも妊娠を打ち明けたり、少し広い家に引越したり、子どもがいる知り合いに話を聞いたり、と本格的に養育の準備をしはじめたのがこの頃だった。安定しているはずのこの時期にメンタルの調子が崩れかけたりもしたが、体は元気だから適当に外出してリフレッシュすることも出来て、そこまで大事には至らずに済んだ。つわりの時期に寝てばかりいたこともあり体力の低下が著しく、このままでは困るからと軽い運動を再開した。ありがたいことに会社のヨガやピラティスのクラスがいくつか妊婦OKだったので、友達と一緒に参加したりしていた。性別が分かり、お腹が膨らんできてうつ伏せが苦しくなり、胎動を感じるようになった。名前について本気で考え始めたのもこの時期だ。7ヶ月からは妊婦健診の頻度も高くなり、出産が近づいているのを実感したりもした。胎動これは人生で一度も感じたことのなかった不思議な感覚だった。初めて胎動を認識したのはベッドで横になっているときで、「急にお腹がぎゅわっと動いてびっくりして眠れなくなっちゃった」と家の Slack に残っている。空腹でおなかが鳴ったりするのとは違って全く予想のつかない、私の意思や感覚とは全く無関係に起こる体内の動き、というのはな
  • cover image
    「健康な心」。言うは易し行うは難しなテーマである。産休に入ってキャリアは停滞し、重い体は言うことを聞かず、行動と交友の範囲が狭まって、最終的に心の健康が損なわれる……という事態に陥ることを恐れてこの目標を定めた。具体的に気にしてみたことは以下の通り。生活リズムの維持 - ホルモンバランスの変化によりお昼寝をすることが増えると聞いていたので、昼夜逆転はしないように「朝はお布団から出る、夜はお布団に入る」というのだけは守った。起床後に朝ごはんを食べてもう一度眠る日もあったけれど、昼過ぎまでお布団から出ないよりはマシなはず。食生活の維持 - 社食の恩恵にあずかれなくなってしまい、自分で食生活を整える必要に駆られた。そもそも産休前から自分のレシピレパートリーに飽きつつあったこともあり、「いつもの食材で新しいレシピに挑戦する」というのを定期的にやってみたところ、簡単で美味しくてかつ新鮮味のあるものがいくつか見つかった。行動と交友の維持 - 疲れやすくなった結果出不精になったので、とにかく「毎週夫以外の誰かに会う」ようにしていた。うちに来てもらったこともあったし、庭園でお散歩したり、カフェでだらだらしたり、お昼休みにランチだけ一緒に食べたり、いろいろ。みんな遊んでくれてありがとう。という感じで今のところ「健康な心」を保てている。・月始めに夫の昇進祝いで腕時計をプレゼントしたら、月末に早めのプッシュギフトとして腕時計をプレゼントされて、結果ふたりで久々のアナログ時計生活をすることとなった。ここ一年くらいはダイビング用に買った GARMIN Descent Mk2S を普段も付けて、スマホから通知を受けたり運動やら睡眠やらをトラックしたりしていた。ワークアウトも全部これで記録していたし、起床アラームもこれだったし、フェイスを好きに編集できたり一週間充電しなくても大丈夫だったり、機能だけで言えばどう考えてもスマートウォッチに軍配が上がる。が、普段遣いでは一番大切なデザインがあまり好みに合っていなかったこともあり、残念ながら最近は少し疎遠になっていたというのが実情だった。ダイブコンピュータとしては信頼の置けるものなので今後も使うけれど。スマホが iPhone だったら Apple Watch を使っていたかもしれないけれど現時点では Android を使っているから、 Pixel Wa
  • cover image
    現在27歳、妊娠8ヶ月。既に妊娠初期の記憶は曖昧だし、「子どもが産まれると考え方が変わるよ」というようなことを聞いたりもするので、全て忘れてしまう前に記録を残しておくことにした。もしかしたら誰かの参考になるかもしれないから、一旦はブログとして公開してみる。今回は妊活〜妊娠初期編。中期以降のことはまた今度。何か聞きたいことがあったら Twitter @yukidmy までどうぞ。お古でいらない出産育児用品があるよ〜という友人がいたら是非連絡してね!※ 本記事は全て個人の体験を記録したものでしかなく、医学的な裏付けなどはちゃんと調べていません。妊活準備 @ 近所の婦人科話は数年前に遡る。当時の私は子どもを産み育てることに対して、前向きではないどころか完全に後ろ向きだった。絶対に嫌だというわけでも反出生主義者でもないけれど興味がなかったし、生理不順だし、そのくせ肉体・時間・精神・金銭・社会的な不安要素はいくらでもあったからだ。新しい命を生み出すのは不可逆な行為で、「思ってたのと違うからやっぱりナシで……」というわけにはいかない。自分のことだけでも手一杯なのに、というか自分がまだ子どものようなのに、更に別の人間を養育するというのはハードルが高すぎるしやりたくもないと思っていた。ところがパートナーは子どもに興味があったから、私たちはたくさん話し合わなければならなかった。価値観のすり合わせだけでなく、キャリアのこと、資産の見通し、親族付き合い、不妊治療、養子……。トピックは多岐にわたり、お互いの考えや人生の方針がそこそこ合致するまでにはある程度の時間を要した。答えのない問いもあるし、人によって考え方は違うから、話し合いの詳細な内容はここには書かないでおく。ふたりでも、なんならひとりでだって十分に楽しく生きていけるし、不安要素が全て消えたわけでもない。それでも今回は「期間・回数を決めて妊活してみる」ということに決めた。やると決めたらあとは行動するだけだ。先述の通り私はもともと生理不順(多嚢胞性卵巣症候群によるもの)で、自然妊娠にはあまり期待できないことが最初から分かっていた。そこでかかりつけの婦人科でいろいろと相談をし、今後のスケジュールを決めて、血液検査とワクチン接種をした。先天性風疹症候群は非常に怖いので、妊娠を希望するタイミングよりも数ヶ月早めに抗体検査をするのが良いらしい
  • cover image
    注:本記事ではICL(= Implantable Contact Lens)は目の中に移植できる小さなレンズ及びそれを用いた治療のことを指します。専門家による記事ではないため。間違いを含む可能性もあります。治療を検討する際はICL、眼内コンタクトレンズ、有水晶体眼内レンズ、フェイキックIOLなどのワードを使って信頼出来る情報を探してください。*****ICLの手術を受けた。ICLとは、簡単に言ってしまえば、目の中にコンタクトレンズを入れる治療のことだ。レーシックよりも高額ではあるものの、角膜を削らずに済む、強度近視にも対応可能であるなど、いくつかのメリットがある。私は強度近視かつ強度乱視でもあるため、レーシックは適応外だったが、ICLなら治療を受けることが出来た。数年悩んだ末に手術を受け、今のところ大きな問題は無く普通に過ごせている。周囲でこの治療を受けた人が少しずつ出てきたこと、所謂コロナ禍で旅行や遊びに使うお金が浮いたこと、また子供の頃から診てもらっている眼科医に相談して「あなたの目には合っていると思う」と背中を押されたことなどで条件が揃い、ICLをやらない理由が見当たらなくなったため、この春に治療を受けることに決めたのである。ICLに関する(私の中での)一番大きな懸念は乱視に関係していて、乱視用のレンズは目の中で回転してしまうと再手術になってしまうというものだった。そのため、保障期間がある程度長めかつ症例実績の多い病院を選んで予約をし、一週間のコンタクト禁止期間の後に適応検査を受けた。ずらりと並んだ検査機器に順番に腰掛け、視力はもちろんのこと、角膜の厚さや細胞の数、眼圧、瞳孔のサイズ、目の形、矯正時の最大視力など様々な数値を測定し、特に問題がなさそうであれば更に散瞳薬を使った眼底検査と医師の診察を受ける。今まで何度もメガネやコンタクトを作ってきたが、あんなにもたくさんの検査を受けたことはなかった。数日後にレンズの入荷時期が分かると言われていたのだが、なぜか当日の夕方には電話がかかってきてすぐ届くと言われ、約一週間後に手術をすることになった。在庫の有無によって手術までの期間が大きく変わってくるらしいので、運が良かったのかもしれない。さて、労働を繰り返していればあっという間に手術当日である。適応検査の日に渡されたあまり美味しくない抗菌目薬を4回×3日間さし続け、景