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    妊娠記録① - 妊活〜妊娠初期・妊娠記録② - 妊娠中期〜出産でも書いたとおり、2023年の夏にかわいいかわいいあかちゃんを産んだ。その2ヶ月くらい前、あかちゃんを迎える準備を始めた際に、長大な妊娠出産準備リストを前に狼狽えたり、先人たちの育児グッズリストに助けられたりした経験を踏まえて、私もねんね期(新生児〜3ヶ月頃)に使ったものなどを記録しておく。誰かの役に立ったら嬉しいけれど、長くなってしまったので必要なところだけ読んでほしい。心や時間に余裕が無い場合は、子ども用品店の出産準備リストを眺めながら店舗に行き、店員さんに相談しながら生まれる時期に合わせた必需品を買えばなんとかなる。ちなみに妊婦グッズは服(ワンピースとパジャマと下着)さえなんとかすれば一応乗り切れました。衣服肌着新生児も大人と同じで肌着+洋服が基本スタイルではあるけれど、夏生まれの場合は肌着だけでも過ごせるとアドバイスを受けたので、とりあえず一般的な短肌着と長肌着(コンビ肌着)のセットを買った。が、うちの子はコンビ肌着のみのほうが快適そうで、短肌着はほぼ新品のまま残されてしまった。さらに生後3ヶ月頃にはコンビ肌着もサイズアウトしてしまい、半袖前開きのボディスーツ(ユニクロのものとかZARAのものとか、一枚で着ることを想定されているもの)に切り替えた。首や腰がしっかりしてきて動き回るようになったら被るタイプのボディスーツに移行する予定。ボディスーツのほうがおむつもしっかりカバーしてくれるし、最初からこれだけでも良かったかなあと思わなくもないが、コンビ肌着のほうがゆるく着られて対応サイズが広い(50-60とか)ので、急速に成長する最初の数ヶ月には適していそうな気がしている。洋服洋服は数着のみ購入してイベントがあるときだけ着せていたが、保育園入園を決めてから少し買い足した。最初はカバーオールとかロンパースとか呼ばれているつなぎスタイルものを揃えて、動きが活発になったらセパレートに移行すると動きやすい&着替えさせやすいらしい。プレゼントやお下がりでかわいいロンパースをもらうこともあった。親の好みや考え方によって必要なものは変わってくるけれど、かわいいもしくはシンプルなもので揃えておくと適当な写真もなんとなくいい感じになるので、これに関しては多少こだわって選ぶことをオススメします。その他スタイ:新年のベビー福
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    子が無事に百日祝いを迎えた。お食い初めをして、記念写真を撮り、不思議そうな顔で鯛を見つめる子を抱き上げて「もりもり食べてすくすく育ってね〜」と撫でた。退院時のおしゃれ着として買った50-70サイズの服は、当時はぶかぶかだったのに、今やぴったりとフィットしていた。成長曲線の上の方をうろうろしているうちの子は、どこに行っても「月齢の割にしっかりしてるねえ」と言われる。が、当然ながらまだ三ヶ月しか生きていないし、ごはんだってまだ食べられない。ふたりの親を見分けられているのかどうかもよく分からない。それでも著しく成長していることは確かで、首はほぼ座ったし、寝返りの練習もするし、親につられて笑うことも増えた。声を出したときの愛らしさも、泣き声のけたたましさも、日増しに強くなっている。このまま月齢に合わせた発達を遂げてくれることを祈るばかりだ。そんな子が、来月から保育園に通うことになった。そういうわけで今月は入園申し込みやらなんやらの手続きに追われていた。まだ小さいあかちゃんを長時間預けるなんて、という罪悪感のようなものは不思議とあまり無い。復職のタイミングについては夫ともいろいろ話したし、子のことはもちろんお金のことや自分のキャリアなど、考えることは様々あった。ただ、やはり一番大きかったのは我々は子育てのプロではない、ということで、子がかわいいからこそちゃんとした環境で見守ってもらいたい、という気持ちが夫婦ともに強かったのだ。見学に行った園の枠が空いていて、雰囲気を気に入ったこともあり、早めに入園させることにした。この選択がどう転ぶかはまだ分からないけれど、今は「おともだちが出来るといいねえ」と話しかけながら、持ち物すべてに名前を書いたりしている。・あかちゃんを三時間ほど抱っこしながら映画を観た。ミルクをあげる時間だけはちゃんと守ったら、半分くらいは起きてスクリーンを見つめてくれていた。私は「4DXだよ〜!」とゆらゆらしながら椅子係をやっていた。楽しかった。子が自らの意思で観たい映画を選ぶようになった時、また一緒に観に行けたらそれはとても幸せだろうなと想像して、早すぎる感傷に浸った。それはそれとして、この異常なほど暑い夏に熱源であるあかちゃんを抱っこし続けているのはきつかったので、今度はベビーカーで行こうと心に誓った。・おしまい! 来月は慣らし保育と初子連れ旅行の予定だよ!
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    親不知を抜いた。左右の下顎に埋まっていたそれらが臨月に顔を覗かせはじめ、しかし出産直前にトラブルを抱え込むわけにもいかず、産後に抜こうねという話になっていたのを、満を持して抜いた。抜歯と抜糸、「ばっし」と読まれる二つの単語が混在する治療を受けると、様々な説明を聞くたびに少し混乱するというどうでもいいことを学んだ。虫歯とは無縁な人生を歩んできたため、本格的な歯科治療は初めてである。顎にかかる力も歯茎の中を弄られる感覚もあまりに恐ろしく、最終的に力尽くで行われるその処置には怒りすら覚えた。こんな目に合うために生きているわけじゃない、多くの人がこんなことを経験しているだなんて信じられない、しかも麻酔が切れたら痛みと腫れとに襲われるだなんて耐えられない、と意気消沈した。しかし蓋を開けてみれば痛みも腫れもほぼ無く、口は開けづらかったし糸も多少は邪魔だったが処置自体の異常さとは比にもならなかった。30分程度の恐怖は、振り返ってみればまあ貴重な体験だったと言えなくもない。二度とごめんではあるが。そんなこんなで今月は産休中に済ませておきたい面倒なことを順番に片付けながら過ごしていた。ちなみに歯科治療を経てクリアしたのは不要な歯との離別のみではない。子の睡眠中の外出も同時に試すことが出来た。夫の育休が終わり、平日は主に私が子のお世話をしているが、当然私がひとりで済ませたい用事もある。心配しつつ試してみたところ、仕事中であっても子が寝ているのをベビーモニターで見ていてもらいさえすれば、私が数時間外出しても支障はないようだった。アイキャッチもひとりで見に行ったマティス展のもの。新しい生活での時間の使い方を模索している。・7月になって、夫は仕事に戻った。私はというと特に何をするでもなく、子の面倒を見ながら家事を片付け、予防接種や保育園見学に行ったりもしつつ基本的にはゆるゆると日々を過ごしている。子がそこそこ良く眠ってくれることもあり、当初案じていたほど大変な生活にはならなかったので、相変わらず土日は人を招いて家で遊んでもらうことが多い。子には様々に生きる大人を見て育ってもらおうと思う。子の写真や動画を見返していると、この一ヶ月だけでもたくさん成長したことがよく分かる。全身がふっくらとしてきて、よく微笑むようになり、クーイングも盛んになった。自分の手を口まで運んで舐められるようにもなった。寝
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    深夜3時。目を閉じて乳を吸う乳児を眺めながら、自分が深夜の暗い部屋を怖がらなくなったのはいつのことだろうかと物思いにふける。窓の外から微かに聞こえるてんとんてんという謎の音。ぐずる子を抱いて狭い部屋を歩き回る儀式めいた動き。どれもこれも、小さな自分は怖がっていたであろうことばかりだ。夜を怖がらないことも、子の泣き声だけで起きることも、人生のあるタイミングでは不可能だと思っていたことが今自然に出来ていて、意外な喜びがある。子は育つ。勝手に育つ。毎日ミルクを吐き、たまに排泄物を撒き散らしながらも日増しに大きくなり、出来ることが増え、感情も感覚も爆発的に広がっていく。産前も産後も親になった実感を持てずぼんやりとしていた私を横目に、新生児はあっという間に乳児になってしまった。あまりの速度に驚き、既に新生児の時期を懐かしむ気持ちすら芽生えてくる。私は生活の変化に弱く、0歳児との生活にも最初は戸惑いを感じていた。そもそも細切れの睡眠が辛かった。それでも置いていかれないようにとあれやこれやと世話を焼き、様々なことを調べ、子を観察するうちに、こちらも最近ようやく親であることに、新しい生活に慣れてきたような気がする。先月「行動は感情に先立つ、と信じて生きている」と書いたが、生活の変化が行動の変化を引き起こし、今の感情があるのだろう。子の方も私たちと過ごすことに少し慣れて、お互いに心地よい生活の形を探り合っている。子どもとの暮らしは変化に事欠かないが、親になったからといって今までの生活すべてを捨てなければならないわけではない。先日初めて人に子を任せて、夫と二人で映画を観てきた。友達にも遊びに来てもらっているし、子連れでカフェに行ったりもする。育児を通して親も変容するのは当然だが、子との時間と他の喜びとを程よいバランスで楽しめるようになれば、自分にとって大切なことはある程度続けられるように思う。かといって変化自体も悪いものではない。子はかわいいし、子を愛する夫も愛おしい。変化に負けないと同時に、変化そのものを楽しむ、そういう大人の姿を見せつづけたら、大人になることを悲観せずに育ってくれるかもしれないと思うから、これからも多くを諦めることはせずにいきたい。未だ言語を持たないこの子も、いずれは夜を怖がり、そして夜を楽しむようになる。はやく一人で生きていけるようになってほしいと願いながら、そう
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    子どもを産んだ。だいたいのことは妊娠記録②に書いた。会陰は切ったしそこそこの後陣痛もあったが全て正常の範囲内で、要するに「安産」だったし、その後も大きなトラブルに見舞われることもなく退院の日を迎えた。帰りついた我が家には助産師などおらず、ただ育児初心者の私と夫と、眠る、不快を訴える、宙を見つめる、以外の行動を示さない生まれたての新生児とだけがいた。子の命は私たちの手中にあった。ちなみに帰宅後最初の食事では、夫が「妊娠中食べられなかったものセット」と称して用意してくれた生の魚介類やナチュラルチーズなどで生春巻き大会をやった。生活は激変する。昼夜を問わず数時間おきに授乳を行い、細切れにされた残り時間で生活を維持する。子の体重を気にかけ、母乳やミルクの量にも不安を抱え、慣れない授乳や沐浴で身体を痛めながら日々を過ごすようになる。全ては子を中心に回る。眠ってばかりの生き物と暮らすことにも慣れてきたかな、と思う頃には子のほうも世界に慣れはじめ、「魔の三週目」と形容されるぐずり泣きが始まるらしい。先が思いやられる。それでもなお、家に来たその子は光であった。新生児の眠る部屋では穏やかな時間が流れ、私たち親はまるで羽虫のようにそのやわらかな命に吸い寄せられる。頬を撫で、手を握り、抱きしめてみては理解し難い可愛らしさに動揺する。仕事を休みながら、つかの間の平和を享受する。叶わないとは知りつつも、他のことを全て放り出して、今この瞬間だけを慈しみたいとすら思う。寝不足でも、排泄物をかけられても、ただ願うのは健やかな成長のみだ。行動は感情に先立つ、と信じて生きているから、兎にも角にも子への愛を表現してみている。新生児は可愛らしいが、それと愛とはイコールではない。子を、子との生活を、子を育てる自分を長く愛するためには多少なりとも努力と工夫が必要になる。愛があるから頑張れる、のステージに立つためには、まず愛を育まなければならない。そんなことを考えずにただ毎日「かわいいね〜♡」と言って愛着を形成できるならばそれで良いが、あいにく私はそこまで器用ではなかったから、命の脆弱さや先行きの不透明さに対する不安は飲み込んで、ただ愛と理性とだけを表に出すように心がけている。……というようなことを産後ケア施設でぼんやりと考えた。新生児との暮らしは基本的には想像していたよりもずっと楽ではあったが、生活の変化その
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    2023年5月に元気なあかちゃんを産み、長くて短い妊娠期間が幕を閉じた。所謂コロナ禍にあってもこちらの希望に最大限寄り添ってくれた医療関係の方々、産休育休のみならず妊娠中の働き方の変化も快く受け入れてくれた同僚、遠近問わず見守って応援して支えてくれたたくさんの人々、妊婦生活を明るく楽しい素敵な思い出にしてくれた夫、誰ひとりとして欠くことの出来ないあたたかな10ヶ月だった。あかちゃんはほわほわしていて、でも既に意思の萌芽は感じられて、泣き声にも一応の個性があり、なんとも不思議な存在だ。親子ともに初心者であり今はお互いに距離を探り合っているが、非日常が日常へと近づくその過程もまたいつか振り返って楽しかったと言えるように過ごしていきたい。ということでここからは 妊娠記録 - 妊活〜妊娠初期 の続きを書いていく。欲しい物リストも一応公開しているので、もしなにか贈りたくてたまらない人がいたら見てね!※ 本記事は全て個人の体験を記録したものでしかなく、医学的な裏付けなどはちゃんと調べていません。妊娠中期(5-7ヶ月)いわゆる安定期に入り、マネージャー以外のチームメイトにも妊娠を打ち明けたり、少し広い家に引越したり、子どもがいる知り合いに話を聞いたり、と本格的に養育の準備をしはじめたのがこの頃だった。安定しているはずのこの時期にメンタルの調子が崩れかけたりもしたが、体は元気だから適当に外出してリフレッシュすることも出来て、そこまで大事には至らずに済んだ。つわりの時期に寝てばかりいたこともあり体力の低下が著しく、このままでは困るからと軽い運動を再開した。ありがたいことに会社のヨガやピラティスのクラスがいくつか妊婦OKだったので、友達と一緒に参加したりしていた。性別が分かり、お腹が膨らんできてうつ伏せが苦しくなり、胎動を感じるようになった。名前について本気で考え始めたのもこの時期だ。7ヶ月からは妊婦健診の頻度も高くなり、出産が近づいているのを実感したりもした。胎動これは人生で一度も感じたことのなかった不思議な感覚だった。初めて胎動を認識したのはベッドで横になっているときで、「急にお腹がぎゅわっと動いてびっくりして眠れなくなっちゃった」と家の Slack に残っている。空腹でおなかが鳴ったりするのとは違って全く予想のつかない、私の意思や感覚とは全く無関係に起こる体内の動き、というのはな